人文情報学シンポジウム
守岡知彦 / MORIOKA Tomohiko
tomo @ kanji.zinbun.kyoto-u.ac.jp
2007年 2月 27日 (火) 20:15:23 JST
3/2, 3 に京都市国際交流会館 第2会議室で
「人文情報学シンポジウム
― キャラクター・データベース・共同行為 ―」
というイベントを開催します。CHISE Project 関連の発表として、師さん、上
地さん、坂内さん、(守岡)が発表します。
ご興味のある方は是非御参加ください。
http://coe21.zinbun.kyoto-u.ac.jp/ws-hi-2007.html.ja
プログラム
3月2日(金)
(13:15〜) Opening
(13:20〜14:05) 師 茂樹(花園大学)「制御文字考」
;; 機能という観点から見た文字の話?
(14:05〜14:50) 上地 宏一(慶応義塾大学)
「多漢字グリフデータ共同管理環境の構築」
漢字字形を従来の字形輪郭記述方式ではなく骨格肉付方式でデータ化する
KAGE システムを応用し、各漢字グリフを Wiki における1ページとみなして、
Web 上で漢字グリフを共同管理する環境の構築について紹介する。 符号
化文字集合に収録されていない文字や、ユニフィケーションの対象となった異
体字、各組織・団体で管理している異体字データベースの管理が可能となるだ
けでなく、漢字フォントの共同デザインについての可能性についても言及する。
(15:00〜15:45) 江渡 浩一郎(独立行政法人 産業技術総合研究所)
「Wikiの本質とは何か」
;; デザインパターンという概念から共同作業によるモデリングとしての Wiki
;; 概念を説き起こす?
(15:45〜16:30) 野村 英登(東洋大学)「チープな人文情報学の可能性について」
古典中国学の領域におけるコンピュータ利用として大多数を占めるであろう、
コンピュータやデータベースを工具書のような便利な道具としてのみ研究に利
用する立場は、時に方法論的な省察を欠いた安易な取り組みとして、人文情報
学に深くコミットする立場から批判される場合もないではない。しかしここで
は、むしろ現状を道具としての利用がいまだ不徹底な状態として肯定的に考え、
安易さをより徹底することで実現されるであろう、「チープな人文情報学」の
可能性を検討してみたい。
(16:30〜16:45) Free discussion
(18:00〜) 『第5回(仮称)人文情報食話会』(懇親会)
要申し込み
3月3日(土)
(13:15〜14:00) 河田 学(京都精華大学非常勤講師)
「人文学に《信念》は必要か?──フィクション論からの視点」
《信念》という概念は、人間をめぐるさまざまな事象を説明するうえでは、
非常に強力な概念である。しかしその一方で、信念を含む言明をどう扱うかと
いう問題は哲学者たちを悩ませてきたのもまた事実である。フィクションにか
んする理論的研究においてもまた、フィクションにたいしてわれわれが《信念》
を形成するのか否かはフィクションをめぐる主要な問題の一つである。 本報
告では、説明上のガジェットとしての《信念》の存在意義、あるいは逆に《信
念》なしでやっていく可能性を模索する。
(14:00〜14:45) 坂内 千里(大阪大学)「『説文解字繋傳』データベース化の試み」
研究成果及び研究過程で作成した資料を、再利用可能な形で蓄積するひとつの
方策として、『説文解字繋傳』のデータベース化を試みている。データの再
検証を容易にし、その信頼性を高めるためには、底本としたテキストの画像を
常に参照できるようにする必要があると考える。そこで、『説文解字繋傳』の
データベース化にあたり、画像データを、電子テキスト・作成資料(今回は、
出典データ)と関連付け提示するための方法について検討してきた。その概要
を提示する。
;; 画像マークアップと論理マークアップによる多面的マークアップの話だけ
;; ど、対象となるテキストとしてなんで『説文解字繋傳』というマイナーな
;; ものを使うのかという話を通じて、知ってるようで知らない「説文解字」
;; の成立ち(徐兄弟による再構)とか、説文解字が引用している詩経との
;; 関係を通じて、引用、解釈、修正、再構の集積といったいわば《信念》の
;; 集積としての『説文解字』に関する説明もあるかも?
(14:55〜15:40) 守岡 知彦(京都大学)「キャラクターを考える」
符号化文字モデルの問題点を解決するために、著者らは『文字を指し示すとは
どういうことか』『文字を使うということはどういうことか』という『文字の
存在論』の観点に基づき Chaon モデルを提案し、それに基づく文字処理シス
テム CHISE を開発してきた。『文字の存在論』は符号化し得るものが抽象概
念であるにも関わらず、視覚的情報に関連し、その一方で、視覚的情報では抽
象概念そのものを表現できないというジレンマに翻弄される世界である。こう
した抽象概念と視覚的(身体的)表現の狭間に存在する『キャラクター的なも
の』を文字とマンガやアニメのキャラクターなどを比較することで考えてみた
い。
(15:40〜16:25) 石田 美紀(関西大学非常勤講師)
「キャラクターが生まれるとき──高畠華宵の「華宵顔」」
マンガ、アニメーションは演劇、映画とは異なる表現媒体である。この弁別は、
文化的格付けによるものではもちろんなく、身体表象の根本的差異によるもの
である。演劇、映画における登場人物は、物語世界と俳優の実在身体によって、
二重に保証されている。いっぽう、マンガ、アニメーションにおける身体はそ
うではない。しかし、平面に描かれただけの身体像が、実在身体と同等の、あ
るいはそれ以上の内実を呼び込むものであることは、キャラクター・ビジネス
の隆盛が示すとおりである。本発表では、日本において最初にキャラクター・
ビジネスを成功させたともいえる挿絵画家、高畠華宵(1888-1966)のキャラ
クター・デザインを例にとり、 平面に描かれた身体がある種の内実を持ち得
る過程を考察する。
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===『幾千億の分子に分かれても ========================================
決して忘れない。
この宇宙が終るまで』 守岡 知彦 (MORIOKA Tomohiko)
====================== Email: <tomo @ kanji.zinbun.kyoto-u.ac.jp> ======
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